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●Juana MolinaをLive on KEXPで視聴する心地いい時間。 [「言葉」による革命]

●Juana MolinaをLive on KEXPで視聴する心地いい時間。

末尾ルコ「音楽話題で知性と感性を鍛えるレッスン

クールでクオリティの高いミュージシャンを音楽を視聴できるのが、Live on KEXPである。
Live on KEXPで視聴できるクールでクオリティの高い音楽は枚挙に暇ないが、わたしは数日前にJuana Molinaを視聴した。
Live on KEXPでのJuana Molinaのライブは30分足らずで、「フルに視聴する」のにもってこいの時間だ。
1時間を超えると、「フルに視聴する」ための時間を構えねばならない感じになる。

Juana Molinaはアルゼンチンはブエノスアイレス出身で、1961年生まれ。
見た目は地味だが音楽はいくらでもクールだ。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年6月28日 [愛の景色]

苦しみを
愉悦に変化(へんげ)させる
そんな愛

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●カラヴァッジョ、モロー、ルドン、デルヴォーに共通する要素は? [「言葉」による革命]

●カラヴァッジョ、モロー、ルドン、デルヴォーに共通する要素は?

末尾ルコ「絵画話題で、知性と感性を鍛えるレッスン

わたしが好きな画家をざっと4人挙げてみるとする。
カラヴァッジョ、モロー、ルドン、デルヴォーとなる。
他にもいるだろう。
こうして書いている間にも、ルソーやミレイの名が浮上する。
しかしその作家の作品の多くを、「ほとんど好き」ということになると、カラヴァッジョ、モロー、ルドン、デルヴォ―となる。
この4人に共通する要素は何かあるか?
ある。
闇とエロスだ。

闇とエロス。

闇とエロスの存在しない「優秀な絵画」など存在するのだろうか?
するのである、と言うか、闇とエロスの存在しない「優秀とされる絵画」は存在するのである。
しかしわたしの好きな絵画に、「闇とエロスの存在しない絵画」はない。
それだけの話だ。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ『SUSHI GIRL』と『ゾンビーバー』のコートニー・パームはいかに卑猥でエロか?2017年6月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ『SUSHI GIRL』と『ゾンビーバー』のコートニーパームはいかに卑猥でエロか?

末尾ルコ「映画俳優演技論」

知らぬうちに『SUSHI GIRL』と『ゾンビーバー』という二本の出演映画を観ていたコートニー・パームについてさらに語ろう。

コートニー・パームCortney Palmは1987年2月20日生まれ。
アメリカ合衆国はコロラド州の出身だという。

『SUSHI GIRL』はゲテモノ映画。
しかもつまらなかった。
ゲテモノ映画を大別すれば、
・おもしろいゲテモノ映画
・つまらないゲテモノ映画

2通りに分かれる。
当然だよね。
しかしこの言葉も「つまらない」という曲者で、実は「つまらない」のは映画でなくてそう思った当人である場合も多い。
だからある程度鑑賞力に自信がある人では糸、みだりに「つまらない」と言うべきではない。
で、『SUSHI GIRL』はつまらなかった。
「おもしろい!」と感じる人もいるかもしれない。
が、全体に単調で、シチュエーションホラー的構成で、わたし「シチュエーション物」はあまり好きではないのです。
『SUSHI GIRL』というくらいだから、「すし」と「ガール」の何らかの関連が出てくると期待されるわけだが、出るのです、

「女体盛り」。

裸体でテーブルに仰向けになった女の体に寿司が盛られている。
「女体盛り」が現実にどれだけ行われているかわたしは知らないし、興味もない。
ただ、『SUSHI GIRL』の中では確実に「女体盛り」が現れる。
そしてその寿司を盛られた女が、コートニー・パームだということを後から知った。
なにせ『SUSHI GIRL』で最もインパクトがあったのは、かつて『スター・ウォーズ』ルーク・スカイウォーカーのマーク・ハミルであって、その贅肉たっぷりの外見はルーク・スカイウォーカーというよりもジャバ・ザ・ハットなのであって、(マーク・ハミル、なぜにここまで・・・)と、まあ若い頃の姿を知っていればそう思いますわ。

そしてコートニー・パームがとても卑猥な雰囲気を醸し出している事実を知るのは、『ゾンビーバー』を鑑賞してからになる。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●長州力の試合を「つまらない」と感じていた大きな理由を語る夜。 [「言葉」による革命]

●長州力の試合を「つまらない」と感じていた大きな理由を語る夜。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン

ブルーザー・ブロディが長州力に「恥をかかせた」件の試合であるが、それをもって、「長州はブロディよりずっと弱い」とイコールにはならない。
ここでも「強さ」概念の難しさが出てくるのだけれど、仮に長州力に最初から心の準備ができていて、ゴングと同時に「セメント」的状況への臨戦態勢ができていたとすれば、アマレスでの実績を生かしたタックルで倒し、そのまま上をキープして、タコ殴りにするという展開もあり得たかもしれない。
いわば、キモVSバンバン・ビガロのような展開だ。
しかしこんなことも、MMA(総合格闘技)の体系が整い、タックル&パウンドが極めて有効であることが実証されて久しい今だから簡単に言えるのであって、当時のアマレス出身者たちが、自分よりずっと大きい相手に対してそうした攻撃が有効か理解していたかどうかは分からない。
あの試合に限って言えば、ブロディの非情な攻撃を恐らく長州力はまったく予想してなかったと思われ、ブロディがその気で続ければ、「長州力、リング上で失神」といった事態もあり得ただろうが、ブロディにそこまでやるつもりはなかったのだろう。

ここで「プロレスラーとしての長州力」について私見を述べておけば、(わたしにとって)長州力の一番つまらなかったのは、「小柄なのにパワーファーター的ファイトスタイルだった」点である。
「セメントであればどうか」とかいう話ではなく、あくまで「プロレスラーとして」だが、長州力の体格で大柄なレスラーと真っ向勝負する姿はいかにも説得力に欠け、プロレスの試合が味気なくなる一因となっていた。
そうした思いはジャイアント馬場やジャンボ鶴田らも持っていただろうし、後年鶴田が三沢や川田らを相手に「怪物」ぶりを発揮し、「大きな壁」というイメージを創り上げたように、長州力の体格であれば、鶴田に対しては、「頑張っても頑張っても容易には超えられない壁」というイメージでちょうどいいくらいだったのだと思う。
ところが「正面切って、互角の戦い」という前提にしてしまうから、当時数多く発生した長州力目当ての「にわかプロレスファン」にはよかったのだろうけれど、(つまらない)と感じていたファンは少なくなかったのだろうと思う。

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