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●西田敏行と三國連太郎、そして石田えりが表現する哀感~映画『釣りバカ日誌』の魅惑に開眼! [「言葉」による革命]

●西田敏行と三國連太郎、そして石田えりが表現する哀感~映画『釣りバカ日誌』の魅惑に開眼!

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」


『釣りバカ日誌』はそのシリーズ開始時から、わたしには縁遠い映画のように思えていた。
それどころか、『男はつらいよ』シリーズも、ある時期までわたしにとっては遠い遠い世界だった。
わたしの映画鑑賞史を振り返ってみると、10歳を超えたあたりから親に、それほど多くはなかったけれど、連れて行ってもらった映画館で映画の魔力に魅了され、その後自分で映画館へ行けるようになってからは、とにかく低価格で鑑賞できる名画座を含めて、「観られるものはできるだけ観た」という状態だった。
テレビで放映される映画もほとんど観ていたと思う。
それは定番の夜9時から放送されるロードショー番組だけでなく、土曜や日曜の午後などに放送されていた映画もできる限り観ていた。
その中に、ルキノ・ヴィスコンティの『異邦人』といった貴重な作品もあったのだ。

この映画鑑賞スタイルはビデオが流通し始めてから大きく変わるのだけれど、それまでは、「映画館」か「テレビ」以外の選択肢はなかった。
NHKもよく「名画劇場」的にモノクロ作品を放映していた。
チャールズ・チャップリンの映画なども普通に放送されていたし、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』や『戦火のかなた』などを、よく分かりもせずに鑑賞していたのも大きな経験だった。
さらに言えば、ロバート・デ・ニーロ体験も、わたしにとってとてつもなく大きかった。

日本映画はまず『ガメラ』や『ゴジラ』怪獣物から入り、『日本沈没』なども映画館へ連れて行ってもらったけれど、子どもにとっても黒澤明の『七人の侍』は別格の作品だと認識されていて、しかも観ておもしろかった。

個人的映画史を話し始めたらどんどん続けられそうだが、今回は『釣りバカ日誌』の話である。

『釣りバカ日誌』の映画シリーズは1988年にスタートしている。
まだ平成は始まっておらず、わたしはこのシリーズのことを知っていながら、30年以上一度も観ていなかったことになる。

西田敏行と石田えりはいかにも軽く幸せそうな夫婦に見える。
三國連太郎はいかめしい社長に、確かに見える。
釣り好きの西田敏行と初心者の三國連太郎が出会い、しかし指南役よりも初心者の方が釣りまくるという予想通りのベタなギャグも、歴史的怪物俳優 三國連太郎と名優 西田敏行が演じれば、その愉しさに身を委ねられる。
しかし悩みが何もなさそうな西田敏行の目は随所で愁いを帯び、石田えりは「何かお礼がしたいのだが」と言う三國連太郎に、「子どもが欲しい」と語る。

何よりもこの『釣りバカ日誌』1作目を観て、(もっともっと浜ちゃんとスーさんに会いたい)と感じさせられることが凄い。

「遅れてきた浜ちゃん、スーさんファン」となったわたしではあるが、何事にも「もう遅い」はない。
『釣りバカ日誌』、順次鑑賞していこう。

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コメント 2

hana2018

「釣りバカ日誌」シリーズでのウケを狙ったシーンの数々、どれもお約束と言った感じで、目新しさこそないもののそこが安心できると言いましょうか。・・・そうした面も、シリーズ化に一役かっていると勝手に想像しながら観ていました。
ハマちゃんの奥さん役であった石田えりの魅力と安定感、二人揃ったシーンにしても、浅田美代子より勝っていたかと。
私にとって石田えりはなんと言っても、地元の生んだ作家立松和平の代表作品「遠雷」での脱ぎっぷりの潔さ。
永島敏行演じる地方に住む農家の後継ぎ、お見合いをしたその日に相手をモーテルに誘ってしまう・・・そうした行為は一見突飛に思えるものの、実際にもありそうなタイプであり、それは相手役の石田えりにしても然り。
自分に素直であり、大胆でありながら、気が良くて働き者。・・・どこにでもいる田舎のお姉ちゃん役が似合っていました。
素朴で単純そのものの二人の結婚式のシーンは、大らかである反面、切ない。
昨年だったかしら、映画館で観た石井監督の「バンクバーの朝日」に出演していた彼女、久しぶりにを見た時には嬉しかったです。
by hana2018 (2018-05-13 00:43) 

いっぷく

>遅れてきた

私などはいつも遅れています。たとえば、クレージーキャッツは子供の頃から見ていましたが、やっぱりテレビが付いていたから見ましたというだけで、まあその時々で面白いシーンも有りましたが、少なくとも今ほど、この人たちはすごい人なんだと自覚的に見ていたわけではありません。
youtubeで「シャボン玉ホリデー」を見ていたら、マヒナスターズが持ち歌の「ウナ・セラ・ディ東京」を歌っていて、後ろで犬塚弘と谷啓が演奏しようとしているのに「お呼びでない」状態を演じていて、そのうち植木等がやってくのです。植木等こそ「お呼びでない」をやるんだろう、どうやってずっこけるんだろうと思っていたら、時折披露する美声で「ウナ・セラ・ディ東京」を歌いはじめ、するとヴォーカルの松平直樹が一歩下がって植木等をたてるんです。「お呼びでない」ギャグを予想する視聴者を実力で裏切ってしまう構成は、植木等の美声と、持ち歌でそれを許すマヒナスターズの度量があってこそ成立するシーンです。さらにいえば、レギュラーのザ・ピーナッツも「ウナ・セラ・ディ東京」を歌っているわけですから、植木等があまり本気出しちゃうとややこしいのですが、30分番組の1シーンでも出し惜しみしないところがいいなあと思いました。
マヒナスターズは、クレージーの植木等がヴォーカルだけでなくギターも演奏するように、三原さと志も松平直樹も、歌わないときはウクレレを演奏していて、この人たちはムード歌謡の中でも別格の殿堂入りだと思っています(ちなみに東西横綱は、ロス・プリモスと東京ロマンチカ)

>石田えりは「何かお礼がしたいのだが」と言う三國連太郎に、「子どもが欲しい」と語る。

石田えりにあって浅田美代子にないのは、寂しさのリアリティなのだと思っています。浅田美代子も離婚は経験していますが、もともとの「ほしのもと」の違いかなあなんて考えてしまいます。石田えりは前田日明と付き合っていた時期がありましたが、なんだか自然消滅しましたね。
まああとは個人的な感傷ですが、釣りバカは最初ハマちゃん家が東品川だったのに、なぜか次から羽田にうつってるんです。羽田はよく知っているので、今はないダイエーの看板とか、旧飛行場の名残のネオンとか、1990年代前半を思い出します。石田えりと三國連太郎の絡みがある第7話までは、「男はつらいよ」よりも釣りバカを見たいという気になりますね。私も釣りはしないんですけど。石田えりと三國連太郎の関係がこじれて石田えりが降板したという話もありますが、リアルでそういう関係になったからこその説得力だったのかもしれません。プロレスと同じで、虚実の兼ね合い、面白いですね。

>「集団とか仲間」を強調されるとダメなのです。「孤独な主人公」がわたしのメンタリティの基本なのですね。

梶原一騎先生の世界ですね。私は群像劇は好きなのですが、そこにある葛藤、恩讐、相克などが大事であり、ただ手をつなぎましょう一緒にやりましょうは興ざめですね。
それにしても、アニメのルリ子さん、やはり少しイケイケな感じがしますね。伊達直人と一晩過ごすだけのことはあります。
by いっぷく (2018-05-13 05:01) 

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