孤独なカキの物語 カキティーヌ 12 [小説・孤独なカキの物語]
引っ込みはもはやつかない。
頭をよぎっていたカキティーヌとの情熱的な暮らし
それもカキティーヌに読まれてしまったのだろうか
恥ずかしい。パニックだ。
パニック
パニック
パニック
「一カキ、二カキ、三カーーーー」
「オ待チニナッテ アゲイン」
「ア、アゲインテ・・ヘンナボキャブラリーネネ。
ダイタイ
今サラナニヨ」
頭をよぎっていたカキティーヌとの情熱的な暮らし
それもカキティーヌに読まれてしまったのだろうか
恥ずかしい。パニックだ。
パニック
パニック
パニック
「一カキ、二カキ、三カーーーー」
「オ待チニナッテ アゲイン」
「ア、アゲインテ・・ヘンナボキャブラリーネネ。
ダイタイ
今サラナニヨ」
吉高由里子が日本的SMの世界には合わない理由 [吉高由里子]
今週は「ラブシャッフル」を観たが、
いや実は先週は日本アカデミー賞を観ているうちに忘れていたもので、
そう、俳優たちは悪くない、香里奈とDAIGOを省いて。
悪いのは脚本だ。
そしてまたぞろ終盤に近づいて、
野島伸司による野島伸司風「背徳ごっこ」が始まりそうな予感。
吉高由里子は前髪を少し分けている方が似合う。
もちろん揃えているものいいのだが。
吉高由里子が松田翔太と二人で映る。
それだけで美しくて胸が熱くなる。
その美しさは、
もちろん形のことだけを言っているのではない。
などと思いながらボーっとしていて
ふと思いついたのが、
どうして吉高由里子は日本的SMの世界が合わないかということ。
別の欧米的SMが似合うと言っているわけではない。
もっと似合わない。
けれど日本的SMは似合いそうだし、
「蛇にピアス」の中でもそれらしいことをやっているから、
それなのに似合わないのはなぜか考えていた。
おそらくそう思わせるのは、
吉高由里子の「覚悟」だろう。
「覚悟」のある人間は強い。
日本的SM世界が性愛の対象とするものは
「弱さ」を持った人間だ。
強そうに見えても「弱さ」を持った人間。
吉高由里子に「弱さ」がないと言っているのではない。
けれど「覚悟」がある分、
「覚悟」のない人間よりも遥かに強い。
そして「よこしまさ」がない。
日本的SM世界は、
対象の「弱さ」と「よこしまさ」をつく。
そして対象とされた者は
「弱さ」と「よこしまさ」をつかれたことに
この上ない快感をおぼえる。
少し抽象的だが、
まず今回はこのように書いておこう。
いや実は先週は日本アカデミー賞を観ているうちに忘れていたもので、
そう、俳優たちは悪くない、香里奈とDAIGOを省いて。
悪いのは脚本だ。
そしてまたぞろ終盤に近づいて、
野島伸司による野島伸司風「背徳ごっこ」が始まりそうな予感。
吉高由里子は前髪を少し分けている方が似合う。
もちろん揃えているものいいのだが。
吉高由里子が松田翔太と二人で映る。
それだけで美しくて胸が熱くなる。
その美しさは、
もちろん形のことだけを言っているのではない。
などと思いながらボーっとしていて
ふと思いついたのが、
どうして吉高由里子は日本的SMの世界が合わないかということ。
別の欧米的SMが似合うと言っているわけではない。
もっと似合わない。
けれど日本的SMは似合いそうだし、
「蛇にピアス」の中でもそれらしいことをやっているから、
それなのに似合わないのはなぜか考えていた。
おそらくそう思わせるのは、
吉高由里子の「覚悟」だろう。
「覚悟」のある人間は強い。
日本的SM世界が性愛の対象とするものは
「弱さ」を持った人間だ。
強そうに見えても「弱さ」を持った人間。
吉高由里子に「弱さ」がないと言っているのではない。
けれど「覚悟」がある分、
「覚悟」のない人間よりも遥かに強い。
そして「よこしまさ」がない。
日本的SM世界は、
対象の「弱さ」と「よこしまさ」をつく。
そして対象とされた者は
「弱さ」と「よこしまさ」をつかれたことに
この上ない快感をおぼえる。
少し抽象的だが、
まず今回はこのように書いておこう。
孤独なカキの物語 カキティーヌ 11 [小説・孤独なカキの物語]
「ダメデス!カキサン」
カキティーヌは“キッ”と
音のするような表情になる。
「ナ、ナニヨ、今ノ・・
確カ“キッ”ト鳴ッタワネン」
「オ行キナサイ、
カキ!」
急に呼び捨てである
呼び捨てである
呼び捨てである
「行クノデス、カキ!
冒険ノ旅ヘ!」
「イ、行クワヨ、言ワレナクテモ」
カキティーヌは“キッ”と
音のするような表情になる。
「ナ、ナニヨ、今ノ・・
確カ“キッ”ト鳴ッタワネン」
「オ行キナサイ、
カキ!」
急に呼び捨てである
呼び捨てである
呼び捨てである
「行クノデス、カキ!
冒険ノ旅ヘ!」
「イ、行クワヨ、言ワレナクテモ」
「武士の一分」 [末尾ルコ(アルベール)の成長する小さな映画批評]
「奇跡の丘」 [末尾ルコ(アルベール)の成長する小さな映画批評]
低空飛行「ラブシャッフル」視聴率。石原真理子的とは永遠にクロスしない吉高由里子という存在。 [吉高由里子]
「ラブシャッフル」6回目の視聴率が8.3%である。
辛くも3回目の8.2%を更新することはなかった。(笑)
それにしても低空飛行だ。
「神の雫」の4.7%よりはかなりいいなどと、
喜ぶ者はいないだろう。
しかもあからさまに「受け狙い」でこの視聴率。
制作関係者一同のセンスが問われる。
実はわたしは「群像もの」とされる作品が苦手だ。
ドラマだけでなく、
映画でも文学でも、
どうも「群像もの」は
観ていて気色悪くてたまらない。
どうしても「孤独」という認識の違いを感じてしまうからだろうか。
「ふぞろいの林檎たち」だの「男女7人夏物語」だの・・。
そう言えば「ふぞろいの林檎たち」に出演していた
石原真理子の話題がまたぞろ出てきたが、
まあご結婚に関しては「おめでとうございます」と言うべきだろうが、
それは別として、
この人物の昔からの言動というものには
「醜悪」という言葉しか出てこない。
「恥を知らない」とも言い換えられるが。
自分が「何をやりたいか」「何を表現したいか」は
まったく見えてこず、
ただ「自己顕示」をしないとフラストレーションが解消されない、
そのための芸能活動としか思えないのだ。
さて今夜の「ラブシャッフル」。
低空飛行ドラマの中で、
吉高由里子はどんな姿で現れるか。
石原真理子的とは永遠に交わることのない
吉高由里子的な吉高由里子は。






