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孤独なカキの物語 恵比寿ガーデンプレイスで映画 38 す巻きちゃんのプライド [小説・孤独なカキの物語]

カキを取り囲んだ若い女たちは3人。
一人は金色の髪に真っ黒い顔。
一人は紫の髪に黒い唇、そして上から下まで真っ黒い服装。
そしてもう一人は長い黒髪を真ん中に分け、ざっくりとしたブラウスにジーンズ、左肩にマシンガンをしょっている。
す巻きちゃんは小さく唾を飲み込んだ。
(こ、こいつら・・普通じゃない・・)
いつもriendaできめているす巻きちゃんだ。
自分のファッションセンス、そしてライフスタイルにもそれなりの自信はある、「普通の人たち」相手には。
しかしカキを取り囲んだ3人の女たちはどう見ても「普通」じゃない。
(通じるの?わたしのプライド・・)
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ドロンジョ国への誘(いざな)い? 4 [ルコ(アルベール)のスゴイ「ギャグ」]

(これは・・)
男は気持ちを整理するのに苦労した。
部屋の中にどじょうが並んでいるとは夢にも思っていなかったから。
では男は何を期待してこの場所へ来たのか?
「ドロンジョ国」だから、ドロンジョ様がいるとでも思っていたのか?
確かに部屋の中にどじょうがいるというのは予想外だ。
けれど部屋の中にドロンジョ様がいると思うのもどうかしているのではないか。
(まあ、いいか・・)
そう諦念し、男は部屋の中へ入った。
なにしろ男は日常に倦んでいるのである。
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「追想」ロベール・アンリコ監督 [末尾ルコ(アルベール)の成長する小さな映画批評]

「追想」ロベール・アンリコ監督

屈辱を受けた人間の復讐劇以上に興奮させるものは滅多にない。「モンテ・クリスト伯」しかり。意外と陽光の下が似合うロミー・シュナイダーの美しさ。身も蓋もない展開だが、そこが心地よいわけだ。

7点
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吉高由里子の存在と「司会者・アナウンサー」という存在の対立。 [吉高由里子]

「めざましライブmeet恋時雨」で吉高由里子が持田香織のパフォーマンスに関して「精力がすごくて……」と表現したことに関して続ける。
吉高由里子が本当に「精力」と言ったのかはさだかではないが、「精力」と言ったとして、それが困惑や笑いを呼ぶことだろうか。
あの場で「精力」という言葉を選ぶのに、意味の上では何の間違いもない。
司会者は「精力」と言えば、「うちの旦那は最近精力が弱くなって~」という意味しかないと信じている程度の無知な人間だったのか?
それはそうかもしれない。
司会者・アナウンサーの知性などというものにはまったく信が置けないし、ましてや「美意識」「品性」などに関しては、他の職業を持つ人に比べてかなり劣る次物が多いと思う。(全員ではありません。念のため)
それはなぜだろうか。
多くのアナウンサーは(特に「女子アナと呼ばれる人間」)採用になった時点で「人生に勝った」と勘違いする。
他にもその職へ就いただけで「人生に勝った」と勘違いする職種はあるが、アナウンサーの場合はさらに「テレビへ出る・有名人になる」という優越感が加わる。
その上各テレビ局の「視聴率至上主義教育」を受けるわけだから、どのような人間ができあがるかは容易に想像ができる。(全員ではありません。再び念のため)

つまり「アナウンサーになったという優越感」に加え、「視聴率稼ぎの人気とり」を徹底的に教育されるわけだから、無神経で無反省な人間が育つのも当然だ。
そんな彼らがテレビやイベントの司会で行うのは、「大衆への迎合」「あらかじめ決められた段取りで進行すること」。
「大衆」という言葉も時代や国によってその質が変わってくるが、今の日本の大衆はある意味戦後のマスメディアが創り上げたものだ。
図式にすると(笑)、
マスメディアが大衆のレベルを下げる→その下がった大衆の欲望のやや下の方を狙って人気とり→さらに大衆のレベルが下がる
かなり単純化しているが、このような形になっていると見るし、大きな間違いはないと思う。

いや~、話が吉高由里子から遠ざかっていると思う人もいるでしょうが、決してそうではありません。
吉高由里子を含め、素晴らしい女優たちが素晴らしい作品でわれわれを楽しませてくれるために、「現状の日本」ではダメなのです。

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ドロンジョ国への誘(いざな)い? 3 [ルコ(アルベール)のスゴイ「ギャグ」]

しかしよく見れば小さな立て看板が置いてあり、「こちら→」とさされた方へ行くと2階へ昇る階段があった。
男は指示通りに階段を昇ると、2階にはまたしても襖の部屋がいくつかあった。
男は1番手前の襖を開けてみる。
(え)
その中の光景はまったく予想外のものだった。

畳の上に長いテーブル。
その両側にズラリと並んでいるのは人間ではなく、どじょうだった。

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投票済ませてきました~。 [末尾ルコ(アルベール)より]

こんにちは。(笑)

先ほど投票を済ましてきました。
どこ(誰)に入れたかはさておいて。

正直言えば、本当に投票したい党(人)はいないのが現状。
でもそんな日本を造ってきたのは、日本人一人一人なんですよね。

今日は脚腰とウエストのエクササイズ中心ヨ!

                                      末尾ルコ(アルベール)
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ミリアム・ウルド-ブラム Myriam Ould-Brahamの夢を見た 3 [愛とバレエ]

こうして時が経っていくと、普通ならミリアム・ウルド-ブラム Myriam Ould-Brahamの夢を見たのをきっと忘れることだろう。
しかしこうしてときに文章にするという作業をしていると、その夢が違った形で見えてくることもある。

ところでわたしは昨夜イチローの夢を見た。
蒸し暑い夜、わらしは朝の5時前に目が覚めてしまった。
目が覚める直前、わたしはイチローの夢を見ていた。
欠場から復帰したイチローは1打席目で見事なヒットを右中間に運んだ。
しかし1塁へ駆け込んだイチローは、一瞬体を伸ばし、すぐにつんのめるように倒れた。
ふくらはぎの故障が悪化したのだ。
「今季絶望」・・その観念が浮かんだと同時に、わたしは目覚めた。
やはり蒸し暑かった。


復帰したイチローの故障がすぐに再発し、200本安打を達成せずに「今季絶望」となる。
これが数え切れないほどいるイチロー支持者の「悪夢」だ。
絶対に現実となってほしくない「悪夢」。
その「悪夢」をわたしは「悪夢」として見てしまった。
普通「悪夢」は現実とはならない。
今はそう信じるしかない。
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ドロンジョ国への誘(いざな)い? 2 [ルコ(アルベール)のスゴイ「ギャグ」]

ガシャーン!
入ると同時に引き戸が閉まり、鍵がロックされた。
「え」
男は驚いたが、なにせ日常に倦んでいるので(まあ、いいか)で済ませた。
ドロンジョ国は土間に靴を脱ぐようになっていた。
靴を脱いで上がると、狭い廊下にいくつか襖があった。
(いったいどこへ行けばいいんだ)
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「傷だらけの栄光」 [末尾ルコ(アルベール)の成長する小さな映画批評]

「傷だらけの栄光」ロバート・ワイズ監督

ニューマンが早い!作品も早い!それでいて、さりげなくインパクト抜群の映像が心に刻み込まれていく。それにしてもニューマンのワイルドさと品格はどうだ。

8点
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「精力」と言ったという吉高由里子は「変な人」なのか?「任侠ヘルパー」第8回視聴率15.7%。 [吉高由里子]

「めざましライブmeet恋時雨」を含め、最近一部思考停止メディアで「吉高由里子=変な人」という図式を成立させようとしている。
大袈裟な表現にも聞こえるかもしれないが、すでにそれは始まっており、わたしは非常に危惧している。
ある記事に見られた「その天然ぶりをさく裂させた」という表現は、書き手の側にイベントを観る前から「吉高由里子=天然」という固定観念があったことを物語っている。
また、「めざましライブmeet恋時雨」で吉高由里子が持田香織のパフォーマンスに関して「精力がすごくて……」と表現したことで、これは「声量」の間違い(つまり「天然」)だという文脈でおもしろおかしく書いているが、ここで「精力」という言葉を使って困惑するのか?
おそらく困惑した、あるいは「さすがは吉高由里子、天然だ~」などと思った人たちは、「精力」の意味を「うちの旦那は最近精力が弱くなって~」の意味でしかとらえていないのではないか?
そうだとしたら、それこそ「無知」「精神的貧困」を物語るものでしかない。
「精力」とはもともと「心や体の活動する力」のことであり、持田香織のライブを聴いた吉高由里子が使っても何ら不思議のない言葉なのだ。

「任侠ヘルパー」の第8回視聴率が15.7%となかなか好調だ。
しかし第8回は、部下を刺された黒木メイサがエレベーターで竜雷太を刺そうとするなど、最終回へ向けて無理のある展開が多かった。
まあ、それでも楽しんで観たのだが。

北川景子が「ブザー・ビート」を演技力の実験室としているというのはかなりうがった見方に思えるかもしれないが、「映画」と「テレビドラマ」の違いをはっきり自覚している彼女だけに、まったく外れているとは思わない。
と言っても、実のところ彼女が意識的にそれをしているとも思ってはいない。
結果的に北川景子にとって貴重な実験室になっているというところだと思う。

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