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バンクーバー、浅田真央とキム・ヨナの闘いという神話 3 [エッセー・闘う敗北者たち]

キム・ヨナが驚異的な点数を叩きだした後、浅田真央はラフマニノフの「鐘」に乗ってフリーの演技をした。
その姿はどうしてあれだけ美しく見えたのだろう。
あまりにフィギュアスケートにそぐわない「鐘」はそれだけでも悲愴な曲だけれど、浅田真央の置かれた状況にその悲愴さはこれ以上ないほど似合っていた。
自分の前に演技したキム・ヨナの点数。
史上最高を自ら塗り替えたその点数を超すことなど常識的にはできるはずがない。
しかし諦めるわけにはいかないのだ。
負けることがほぼ確実な相手に向かっていく姿の美しさだったのか、あの時の浅田真央は。
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小説 神秘アンチエイジング&エロス 173 高揚の夜 [小説 神秘アンチエイジング&エロス]

日は暮れた。
瑛次はまだ高揚している。
自由を思い高揚している。
高揚が食欲を忘れさせている。
何度もベッドに寝転び、起き上がり、ガッツポーズをしたり、「ヤア―ッ!」と声を上げたり、膝を蹴り上げたり、パンチを宙に打ったり、携帯の履歴を開き数少ない良子からのメールを読み返したり・・。
(そう言えば昼飯も食ってないや。あれ、朝飯は食ったかな?)などと気づいて時間を見るともう8時に近かった。
(あら~、なんか食いに行こうかな・・)

※この作品の中には現実のアンチエイジング方法や健康法などが出てきますが、その作品中で言及される効果などに関してはあくまで小説上のできごと、つまりフィクションであるとお考えください。
実際の効果には、個人差などがあるものだと思われます。
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スーパーの自動ドアのそばの子ども、「公私」を失う過程。 [末尾ルコ(アルベール) 美学 生と死のあいだ]

スーパーの自動ドアのそば。
小さな子ども。
男の子。
何歳だろう。
3歳?4歳?5歳?
それはともかく・・なぜ自動ドアのそばにベッタリ座っているのか?
子どもは長靴を脱いでいる、そしてそれを履こうとしている。
親はどこにいるのか?
子どもは自動ドアのそばへベッタリ座って長靴を脱いだり履いたりしている状態に何の不安も疑問も持っている様子はない。
まるで自分の家にいるような雰囲気でそこに座っている。

なるほど、このようにして「公私」の区別が判断できなくなっていくのか。
タグ:アート 美学
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優しく易しく美しいヴェルレーヌ  「ヴェルレーヌ詩集」堀口大學訳 新潮文庫  [ルコ的読書]

堀口大學の翻訳に関して言えば、「ヴェルレーヌ詩集」はとても分かりやすく表現されていて、誰もが親しめる内容になっている。
これが「ランボー詩集」あたりになると、まずボキャブラリーという部分から難解で、「よくこんな言葉知っているなあ」と正直者なら思ってしまう単語が連発される。
もちろんそれはフランス語で書かれたランボーのオリジナルに「普通は使われない」言葉が多く使われているのが最も大きな原因なわけだけれど。
ランボーが文学の世界だけでなく、すべての芸術の世界を見渡しても「特別」な存在であることは誰もが知っているが、それにしてもランボーの詩だけを読んでいたら、「詩というものはここまでのものを創造しなければならないのか」と怖れをなしてしまうという部分もあるかと思う。
その点ヴェルレーヌであれば、「なるほどこんな書き方をすれば普通の言葉でも美し詩ができるのか」という気持ちになるだろう。

「夕ぐれの時」の最後の部分。
平易な表現で読者のイマジネーションを快く喚起する。


梟たち目をさまし、
音のない重い翼で夜気を漕ぐ。
にび色のひかり天頂を領し、
白銀の明星生れ、世はかくて夜となる。

   「ヴェルレーヌ詩集」堀口大學訳 新潮文庫


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日本アカデミー賞主演女優賞。来年は、吉高由里子は?北川景子は?「まっすぐな男」のプチマッチョ、あるいは「おせっかいばかり」な不愉快さ。 [吉高由里子]

佐々木希の顔を見たいばかりに毎週目を通している「まっすぐな男」だが、テレビドラマとはいえ、まあなかなか不快なシーンの連続だ。
だいたい佐藤隆太、ドラマで演じているといっても「本当にあんな人間なのではないか?」と疑いたくなる嫌な押し付けがましさを常に漂わせている。
例えばドラマの中、佐藤隆太と田中圭は深田恭子を「お前」呼ばわりするわけだが、設定上2人と深田恭子は「恋人」でもなければ「親しい間柄」でもない。
深田恭子が演じているのが「いいかげんな女」というキャラクターなわけだが、「いいかげんな女」であれば親しくなくても「お前」呼ばわりしていいと脚本家は思っているのだろうか。
佐藤隆太と田中圭が演じている男の設定が「相手によっては〈お前〉呼ばわりする卑劣な男」であるならまだしも、もちろんそういう設定ではないのだ。
すぐに深田恭子の腕を引っ張ったりする佐藤隆太の行動も併せると、「まっすぐな男」と言うよりも「プチマッチョでおせっかいなDV男」というタイトルの方がふさわしそうだ。

さて話題はコロッと変わり、日本アカデミー賞だ。

優秀主演女優賞

綾瀬はるか
広末涼子、
ペ・ドゥナ
松たか子
宮崎あおい

なかなか華やかな顔触れではある。
最優秀主演女優賞は松たか子だろうが、わたしなら宮崎あおいである。
ところでペ・ドゥナも授賞式に来るのだろうか。
宮崎あおいとペ・ドゥナが同じステージに並ぶのであれば、それだけでも見る価値はある「事件」だが。

来年は北川景子がステージに上がりそうな気がする。
吉高由里子は・・まだだろうなあ。

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「リリー・マルレーン」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督 [末尾ルコ(アルベール)の成長する小さな映画批評]

「リリー・マルレーン」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督

近年ドイツ映画は「一般の人」も楽しめる作品が多く作られるようになり、それはそれでなかなか質の高いものが多くて良いのだが、時にファスビンダ―のような作風が懐かしくなりこともある。この作品も「夢かうつつか」という異様な雰囲気のまま終始し、それをハンナ・シグラという特異極まりない女優が支えきる。

6点
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バンクーバー、浅田真央とキム・ヨナの闘いという神話 2 [エッセー・闘う敗北者たち]

バンクーバーオリンピック、ショートプログラムで逆転可能な位置についた浅田真央だが、フリーで彼女の前に演技をしたキム・ヨナが天上を突き抜けたとも思わせる驚異的な結果を出した時点で、それを上回るのはほぼ「不可能」だと誰もが感じた。
完璧を上回る完璧を見せつけたキム・ヨナ。
普通ならここで「ジ・エンド」の空虚感が漂うはずだが、浅田真央にはあり得ないこと、つまり「奇蹟」を起こすかもしれないという希望を持たせるオーラがある。
そしてラフマニノフの「鐘」に乗り、浅田真央は「ひょっとしたら」と予感させる凄みある演技を見せつける。
それはトリプルアクセルを2度に渡って極めたというだけではない。
なんと、とてもフィギュアスケート向けとは思えない「鐘」を自分のものにしていた浅田真央。
その細く長い手脚がちぎれるのではないかと思うほど、浅田真央はバンクーバーの空間に技術、体力、精神、感情のすべてを叩きつけていく。


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小説 神秘アンチエイジング&エロス 172 組み立て  [小説 神秘アンチエイジング&エロス]

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さらにさらに細かく、細かく、細分化し極小化し、
そして統合する。
細かく分割して意識した小さな筋肉を全体へ。
良子という一体の肉体、一人に人間の肉体へと組み立てていく。

※この作品の中には現実のアンチエイジング方法や健康法などが出てきますが、その作品中で言及される効果などに関してはあくまで小説上のできごと、つまりフィクションであるとお考えください。
実際の効果には、個人差などがあるものだと思われます。
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格闘家(?)朝青龍、もし戦わば! アンデウソン・シウバ戦 その弐 [エッセー・闘う敗北者たち]

朝青龍VSアンデウソン・シウバ。
仮に朝青龍が総合格闘技に転向したところで、とても実現しそうにないカードだ。
だからこそ興味もより湧いてくるではないか。(と、書いている本人も実は思っていないのですが 美笑)

さて万一朝青龍VSアンデウソン・シウバが実現したらどうなるか?
アンデウソン・シウバの実績から考えると、もちろん朝青龍の惨敗である。
ここで問題になるのはウェイト差だ。
アンデウソンはミドル級、朝青龍はへヴィー級、この差は大きい。
大きいとはいえ、アンデウソンの勝利は動かない。
そもそもアンデウソンのフットワークにかかれば、朝青龍の攻撃は何一つ当たらない。
万一朝青龍の突っ張りがタイミングよくヒットすればそりゃあアンデウソンも昏倒するだろう。
しかし万一にもヒットしない。
アンデウソンのフットワークに朝青龍の直線的な動きはついてこれない。
このように勝敗はほぼ100%明らかだが、勝ち方が難しい。
判定までもつれこむのか、それともアンデウソンのKOが可能か。
試合はアンデウソンを捕らえようとする朝青龍を、アンデウソンが軽快にかわしながら打撃を当てていく展開になるだろう。
アンデウソンのパンチはおもしろいように朝青龍の顔面をとらえる。
しかし2人のウェイト差を考えると、簡単にKOできるかどうかは分からない。
なにしろ朝青龍の頸は太く、顎が強そうだ。
一番なりそうな結果は、軽快に無数のパンチを当て続けるアンデウソンに朝青龍の顔面崩壊大流血、レフェリーストップがかかり、試合終了となるのでは。

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ヴェルレーヌ、ランボー、ボードレールの人気に関して  「ヴェルレーヌ詩集」堀口大學訳 新潮文庫  [ルコ的読書]

フランスの詩人として日本でも伝統的に人気が高いのがランボー、ボードレール、コクトー、アポリネール、そしてヴェルレーヌあたりか。
まあ新潮文庫で出ている詩人はある程度の人気があると単純に考えることもできるが。
ヴェルレーヌと同時代の詩人としてランボー、ボードレールというのは不動のカリスマ性を誇っているが、ヴェルレーヌがそれほどでもないのは、そのいささか感情過多の作風、そんな感情に敗退してしまったと見える彼の人生、しかしそれだけではなく、残っている写真でもよく分かる彼の「醜男ぶり」も影響しているのではないだろうか。
ランボーやボードレールの写真はカッコいいのである。
ズバリ言って、アーティストの人気もその容姿に左右されるのは、日本における太宰治を見てもよく分かる。
本当は「作品のみ」を評価すべきだけれど、人間の感情はそれほどパーフェクトではないというところか。

3回に渡って紹介しているヴェルレーヌの「夕ぐれの時」の2回目。
短いけれどとても分かりやすく、しかも凝縮しきった美しさがある。


水草は花冠をとざし、
痩せて立つ姿よせ合い
ポプラ並木は遠くに浮び、
藪かげに蛍とび、

   「ヴェルレーヌ詩集」堀口大學訳 新潮文庫
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