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●「誰か(何か)に似ている」と言うのは、時に「暴力」と成り得る。 [「言葉」による革命]

●「誰か(何か)に似ている」と言うのは、時に「暴力」と成り得る。

末尾ルコ「人生の中の言葉で知性と感性を鍛えるレッスン」

「誰かを誰か(何か)に似ている」ということを、わたしはまず滅多に言わない。
心でそう思っても、それを口に出すことは滅多にない。
「誰か(何か)に似ている」という言い方は、それがかなり当を得ていようが、そうでなかろうが、言われた人にとって不快に思われる可能性が大きいからである。
例えば、「お父さん(お母さん)にそっくりですね~」などと軽々に口に出す人は多いが、確率的に、「子どもに似ている」と親が言われた時は喜ぶ場合が多いが、「親に似ている」と言われて、しかも思春期の時代に言われて喜ぶ子どもは滅多にいないと見る。
そうしたことに無神経なようではいけない。

●英『エンパイア』誌の読者が選んだ「史上最高の映画100本」のトップ20を見てみると。 [「言葉」による革命]

●英『エンパイア』誌の読者が選んだ「史上最高の映画100本」のトップ20を見てみると。

末尾ルコ「映画の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

英『エンパイア』誌が読者投票による「史上最高の映画100本」を発表しています。
「読者投票」というのがポイント。
読者「5000人」が選んだ「100本」だという点ですね。
その中のトップ20は次のようになっていました。

1『ゴッドファーザー』(1972)
2『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980)
3『ダークナイト』(2008)
4『ショーシャンクの空に』(1994)
5『パルプ・フィクション』(1994)
6『グッドフェローズ』(1990)
7『レイダース/失われたアーク』(1981)
8『ジョーズ』(1975)
9『スター・ウォーズ』(1977)
10『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)
11『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)
12『ゴッドファーザーPARTII』(1974)
13『ブレードランナー』(1982)
14『エイリアン』(1979)
15『エイリアン2』(1986)
16『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2003)
17『ファイト・クラブ』(1999)
18『インセプション』(2010)
19『ジュラシック・パーク』(1993)
20『ダイ・ハード』(1988)

確かに、「読者選出」という顔ぶれが並んでます。
最も古いのが1位の『ゴッドファーザー』で1972年。
まあこうしたリストは、とてもいい「会話の題材」になります。
『ダークナイト』、『パルプ・フィクション』、
『グッドフェローズ』などは、日本じゃほぼ「映画ファンしか」観てませんね。
しかし、『タクシードライバー』が入ってないというのも何ですな。

と言いつつ、このような素材、どんどん題材にしていきます。

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ 今、「美しい」という言葉が似合う女優は誰ですか?2017年6月24日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ 今、「美しい」という言葉が似合う女優は誰ですか?

末尾ルコ「言葉の戦士」講座&「映画俳優演技論」


今、日本で「美しいな」と感じる女優は誰ですか?

「美しい」です。
「綺麗」とはニュアンスが違う。
〈「言葉」による革命〉は一つ一つの言葉の意味・意義・軽重などを瞬時に判断し、より的確な運用できる「言葉の戦士」育成を大きな目標としていますが、
「美しい」と
「綺麗」の使い分けは、その最も基本の一つであり、しかも最も大切な使い分けの一つです。
さらに言えば、これは書き言葉の世界になるが、
「綺麗」と
「奇麗」
「きれい」ではニュアンスが違う

「書き言葉」の世界ではあっても、「話し言葉」と密接に繋がっているのは言うまでもない。

さて、「美しい」と言う言葉に相応しい女優は?

基本的に、テレビドラマしか出演しない女優には「美しい」という言葉は当て嵌まらない。
テレビドラマは俳優を美しく撮る表現ではないからだ。
だから日本映画の黄金時代、つまりモノクロ中心で、溝口、小津、成瀬、黒澤の4大映画監督健在の時代、「美しい女優」は多くいた。
しかし現在は?
多くはないが、いる。

その一人が、

深津絵里だ。

●ブルーザー・ブロディから「ハウハウッ」を取ったら何も残らなかったのか?あるいは「強さNo1」という幻想。 [「言葉」による革命]

●ブルーザー・ブロディから「ハウハウッ」を取ったら何も残らなかったのか?あるいは「強さNo1」という幻想。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

かつて新日本プロレスファン、とりわけアントニオ猪木ファンの間では、「スタン・ハンセンもハルク・ホーガンも猪木が育てた」という「説」が当然のように罷り通っていた。
例えば『ロッキング・オン』の松村雄策も当然のようにそうしたことを書いていた。
確かにスタン・ハンセンは米マット界では不遇だったし、ハルク・ホーガンはまだ新人的ポジションだった。
米マットでメインイベンターとして大活躍していなかった二人が猪木との試合から学んだことは確かに少なくなかっただろうが、その度合いはどれだけのものだったのか、興味のあるところだ。
当時の日本ではまだまだ「プロレスラーの強さ」に重きを置いているファンが多くを占めており、「実際に強いのは・・・」という会話がよくされていたし、プロレス紙誌の投稿でもそんな内容が多かったものだ。
つまり当時の基準を使うのであれば、AJスタイルズやケニー・オメガはあくまで「アクロバッティクな大技を駆使するおもしろい選手」であって、体格的にもジュニアへヴィーが相応しく、「外国人エース」扱いはされなかった可能性が高い。
では当時の日本人プロレスファンの多くは主力外国人レスラーの「強さ」をどう見ていたのか。
もちろん人によって意見は異なるだろうが、次のような序列で捉えていていた人が多かったと思う。

1ブルーザー・ブロディ
2アンドレ・ザ・ジャイアント
3スタン・ハンセン

大きく離れて、

ハルク・ホーガン 

この場合の「強さ」というのは、「本気で喧嘩に近い試合をしたら」、つまり「セメントをやったら」というものであり、確かに多くのプロレスファンは、「ブロディは本気を出したら、めちゃめちゃ強い、ハンセンよりもずっと強い」という幻想を抱いていた。
実はわたしも何となくそう思っていた(笑)。
ブルーザー・ブロディの試合には常に不満を抱いていたのだが。
なにせどんな試合でも「ハウハウッ」吠えてかなりの間を作る。
(いつか「ハウハウッ」吠えない試合をやってくれるだろう)などという期待はなかなか叶えられなかった。
唇を歪めて「ハウハウッ」で普通真っ先に連想するのがキング・イヤウケアであり、到底「シリアスな強豪レスラー」がやり続けるパフォーマンスではないと思っていたのだが、ブロディ本人としては、「ハウハウッ」無しの「プロレスラー ブルーザー・ブロディ」はあり得なかったのかもしれない。

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ジャム」篇。2017年6月24日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、ジャム」篇。

「猫、ジャム」

高知市薊野にある


ヴォルテールの小説と
フランシス・ジャムの詩集
アプリコットジャムと
イチジクのジャムと
クレオパトラと
ジャム・セッション

高知市薊野にある


・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
いろんなジャムを
楽しみたいのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)