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●『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』がいつ観てもワクワクするのはなぜ?その2 [「言葉」による革命]

●『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』がいつ観てもワクワクするのはなぜ?その2

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』。
この2本がワクワクするのは、何故?
それは、その一つの理由は、
どちらも
アウトローの物語だから。
しかも実在したアウトローだ。
『明日に向かって撃て』は、ブッチ・キャシディとサンダンズ・キッド。
『俺たちに明日はない』は、ボニー・パーカーとクライド・バロウ。

アウトローなんて、別に実生活の中に入ってきてほしくはないけれど、「知っておく」と、あなたもより精神の自由を得られるのさ。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ジョージ・キューカー『スタア誕生』~最愛の男が死んでしまった女の心に迫る「言葉」とは?2017年10月8日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ジョージ・キューカー『スタア誕生』~最愛の男が死んでしまった女の心に迫る「言葉」とは?

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

あるスター俳優がいる。
飲んだくれで落ち目だが、まだ辛うじてスターである。
その男がしがない舞台歌手の女の才能を見出す。
女を映画界へと導き、女は大スターとなる。
二人の間に愛情が芽生え、育ち、それは決して表面上のものではなく、深くつながったものとなる。
しかし男の落ち目は行きつくところまで行き、まったく仕事がなくなる。
それは単に人気が落ちたというだけでなく、飲んだくれで周囲をウンザリさせ続けて来た報いでもある。
男の乱交は警察沙汰となり、女は人気絶頂の地位を捨ててまでも男の再生に力を貸そうとする。
しかし女のその意図を知った男は、海へ向かい自ら命を絶つ。

ジョージ・キューカー監督『スター誕生』はそんなストーリーだ。

最愛の男の死に崩壊寸前の女はその後どう生きるか?
既にこの世のものではない最愛の男の愛情に応えるための「生き方」をこの映画はラストで提起している。
それは女の友人の言葉として語られるが、なかなかの「言葉」である、ぜひ鑑賞してみてほしい。

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●おめでとう、シモナ・ハレプ!世界ランキング1位!!!! [「言葉」による革命]

●おめでとう、シモナ・ハレプ!
女子テニス世界ランキング初の1位。
これはルーマニア人として初めての世界ランキング1位でもある。

●『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』がいつ観てもワクワクするのはなぜ?その1 [「言葉」による革命]

●『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』がいつ観てもワクワクするのはなぜ?その1

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

人間、「ワクワク」がないと毎日何のために生きているのか分からない。
あなた毎日、「ワクワク」、ある?
『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』という映画があって、何度観てもとてもワクワクするのである。
『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』・・・あなたもう観てる?

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●子ども時代、わたしに賭けポーカーで勝ちやがった奴に殺人技をかけたのか?あるいは「バイ」と「パン」という昭和の遊びとは何か? [「言葉」による革命]

●子ども時代、わたしに賭けポーカーで勝ちやがった奴に殺人技をかけたのか?あるいは「バイ」と「パン」という昭和の遊びとは何か?

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

この前、「モノポリー」や「バンカース」といった、複数名で遊ぶボードゲームについてお話、

複数人で行うボードゲームは、「人間関係の研究」にも最適なのである。

と書いたが、そうなのだ。
実際に顔を合わせて遊ぶゲームというのは、「自分」を含めた「人間観察」にもってこいなわけなのである。
なぜか?
「モノポリー」であれ「バンカース」であれれ、ゲームとは言え、勝敗を争っているわけで、負けが混んできたり、敗色濃厚になってきたりすると、だんだん腹が立って来ることがある。
自分が負けそうになっているということは、他の誰かが勝ちそうになっているのであって、そいつがニヤついてきたり、こちらを舐めたような、あるいは憐れむような表情をしていたりすると、本気で腹が立ってくる(場合がある)。
特にカードゲームなんかはその典型で、何を隠そう、今ではパチンコも含めてギャンブル関係は一切やらないわたしだが、子どもの頃の一時期は「賭けポーカー」をやっていた。
「賭け」といっても子どもであるから少額であるけれど、子どもの頃の少額は子どもにとっては大金であり、しかもポーカーって負けだすとドツボに嵌ったように立て続けに連敗するのですね(わたしの場合ですが)。
負ける度に僅かな小遣いが消えていくだけでなく、そもそも負け続けて「相手に屈服している」という屈辱感が耐えられない。
連勝に転じて取り返せばいいのだけれど、連敗街道から連勝街道に転じることはまずないのである(わたしの場合です)。
そんな時、どうしても相手の表情は緩んでいるし、人を舐めたようなムードがプンプン漂っている。
「何な、その顔は!舐めた顔、すなよ!!(←ナチュラルな怒りの土佐弁)」と、
研ぎ澄まされたプロレスの殺人技(←誇張表現です)
で相手に襲い掛かろうとしてことも一度や二度ではない。
まあ、実際はやらなかったけれど。
いや、ひょっとして何度かやったのだろうか。

ま、それはさて置き、ボードゲームやトランプなどに興ずるようになる前の遊びと言えば、

「バイ」や
「パン」があった。

この呼び方は、高知の、しかもわたしの友人間で流通していたものなので、他地域では別の呼称があるのかもしれないが、「バイ」とは「鉄製の小さな駒」であり、小さな台を真ん中に置いて、プレイヤーたちがバイを紐で勢いよく回転させて争わせ、先に台から落ちた方が負けというものだった。
「パン」というのは「メンコ」と同じものだと思うが、要するに図柄の入ったカードで、これも台を真ん中にして、相手のパンを自分のパンではたき、台から落とせば勝ちというものだった。
双方の遊びに共通して言えることは、

「長い時間やっていると、腰が痛くなる」

という欠点である。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、力」篇。2017年10月8日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、力」篇。

「猫、力」

その晩は
ゆらゆら帝国を
「空洞です」を
久々に聴く
人間である
ロックである
空虚の中の
力である

・・・・・・

ぼくの素敵なネコのために
ありとあらゆる力を
心身の芯から身に付けるのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)