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●〈「言葉」による革命〉・・・「カフェ」や「レストラン」を「とてつもなく素晴らしい場」にするための「言葉」とは?2018年2月14日 [「言葉」による革命]

※2018年2月19日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

はい。

「カフェ」や「レストラン」を「とてつもなく素晴らしい場」にするための「言葉」とは?

〈「言葉」による革命〉は、「カフェやレストラン」を、「極めて重要な革命の場」と位置づけ、その「空間と時間」をより濃厚かつ魅惑的なものにするべく活動していきます。

もちろんカフェやレストランを「従来とまったく異なる場」にしようなどという意図は全くありません。
カフェやレストランに関わる人たちが、「ほんの少し」心がけ、実行するだけで、一足飛びに

「とてつもなく素晴らしい場」へと

変貌する可能性が出てくるのです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ウディ・アレン、エマ・ストーン『教授のおかしな妄想殺人』のおもしろさをフランス語で説明する難しさ」その2。2018年2月14日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ウディ・アレン、エマ・ストーン『教授のおかしな妄想殺人』のおもしろさをフランス語で説明する難しさ」その2

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

さて、近年のウディ・アレンの映画を「退屈だ」と信じて疑わないフェノン(仮名)に対してどのように「いや、おもしろいんだよ」と伝えられるか。
もちろん何をどう感じとろうが個人の自由なのですが、少なくとも「誰かの感想」を耳にしたら、「自分の感想」もしっかり伝える。
そんな繰り返しが

「充実した会話」→「充実した人生」→「充実した社会」と連動していきます。

本当です。
「一人一人の心掛けと実践が社会を変える」・・・これが〈「言葉」による革命〉の根本理念です。

で、近年のウディ・アレン作品、どこにそのおもしろさがあるのか?
まず一般的によく言われるのがその「台詞」ですね。
ウディ・アレン作品、どれも台詞が多い。
それら中に、知性と感性を刺激する様々な要素が練り込まれているのです。
とは言えわたしも、もちろん英語の心得は少々あるけれど、「ウディ・アレンの台詞をすべて言語で理解できる」などと大言壮語は致しません。
けれど日本語字幕だけでも、そのおもしろさはかなり伝わってくる。
つまり、「字幕でも十分愉しめる」のですね。
ただフェノンの場合、日本語字幕は理解できません。
英語はかなり上手なのだけれど、果たしてウッディ・アレンの台詞を十全に理解できるほどかどうか。
そうした不利な点は、フェノンにはあるにはあります。
もちろんウッディ・アレン作品のおもしろさは「台詞」だけではありませんが。

(昨今報道されている、ウッディ・アレンの性的虐待に関する事実と映画のクオリティは別の話とします)

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●山田姉妹へのメッセージ「縦横無尽」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ゲレンデからの中継・・・雪の世界の中の山田姉妹。
ドイツ・ロマン主義絵画の美が心に浮上してきます。
でもお二人は、わたしの中ではフランスの縦横無尽な美の権化だというイメージもあります。
明日の放送の応援体制は既に整っております!
ただ、お風邪など召されませんようにお願いしますね!RUKO

・・・・・・

3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!

https://ameblo.jp/karei1224/
https://twitter.com/karei1224

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●「尻」に注目する不埒な視聴者多数の『ブラタモリ』近江友里恵の後任は誰か?&赤木野乃花アナのエロティシズムとは? [「言葉」による革命]

●「尻」に注目する不埒な視聴者多数の『ブラタモリ』近江友里恵の後任は誰か?&赤木野乃花アナのエロティシズムとは?

末尾ルコ「エロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ブラタモリ』はタモリと近江友里恵が各地を経巡る番組で、地形や地学的知識を中心に据えながら高視聴率を稼ぐという離れ業を見せつけている点は言うまでもなく「タモリの凄さ」であるが、アシスタントの近江友里恵アナを見ることを愉しみにしている視聴者も多かろう。
目にした話であるが、不埒なことにタモリとともに様々な場所を経巡る近江友里恵の後ろ姿のしかも「尻」に注目している視聴者もいるという。
妙齢の女性の「尻」を凝視??
そんな不逞の輩はわたしが見つけ次第、でっかいお灸をすえるに違いない。
と書いたところで、わたしが子ども時代、わたしの周囲に何人か本当にお灸をすえていた人たちがいたことを思い出した。
母方の祖父母がやっていたのは間違いないだろう。
母自身、時折「お灸が熱くて痛かった」ことを語っている。
この場合の「お灸」はもちろん、「もぐさ」を使用して火を点けるものだ。
ひょっとしたら、父方の祖父母、つまりわたしが子どもの頃に同居していた祖父母もやっていたかもしれない。
わたしがお灸をやられたかどうかははっきりと記憶していない。
ただ、(お灸をやられたら辛そうだな)と脅威を感じていた記憶はある。

ところで『ブラタモリ』視聴中に、近江友里恵アナの「尻」に注目することは倫理的に咎められるべきだろうか。
「咎められるべきではない」と、わたしはそう思う。
近江アナの「尻」について、ネットであれ、紙媒体であれ、「愚劣な言葉で描写」とまで行くと、「咎められるべき」状況も発生するだろう。
しかし「イマジネーション」にとどまっている段階では、いかなる猥褻、卑猥、ふしだらなどであっても、咎められるべきではないのだと思う。
そうした「イマジネーション」を「外へ出そう」という場合に、細心の注意が必要となるのだ。
もちろん「極度に猥褻」なイマジネーションは、原則として「外へ出すべきではない」。
が、マルキ・ド・サドの小説が時代を超えて「傑出した文学」として読み継がれているように、「芸術表現」としてであれば、原則「いかなる猥褻」も自由であるべきだろう。
ただ、ここでも「原則」という留保がついているのを見逃してほしくない。

「エロティシズム」は、「わたしの」、と言うよりも、「人類の」大きなテーマである。
さらに強力に深めていきたい。

ちなみにわたし自身は、近江友里恵のプロポーションに対してファンタジーを抱かない。
それよりは同じくNHKの赤木野乃花アナの、やや倒錯的トランジスタグラマーなキャラクターであれば、少々のファンタジーを抱くだろう。

さて、『ブラタモリ』、近江友里恵の後任は視聴者を満足させるだろうか。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、呆れ」篇。2018年2月14日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、呆れ」篇。

「猫、呆れ」

呆れて
呆れ過ぎて
モノが言えなくなるほど呆れると
笑っちゃえるよね
わはははは と

・・・・・・

さあ、ぼくの素敵なネコ!
一緒に笑おう!
わはははは と

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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