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●かつてタモリも「黒人差別ネタ」を連発?シャネルズの「顔面黒塗り」も差別だったのか? [「言葉」による革命]

●かつてタモリも「黒人差別ネタ」を連発?シャネルズの「顔面黒塗り」も差別だったのか?

末尾ルコ「社会問題の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ブラタモリ』を好きな方は多かろうが、わたしも好きである。
そもそもタモリ自体が好きである。
ただ、『笑っていいとも』にオスマン・サンコンが出演していた時期、片岡鶴太郎とともに、現在であれば大問題となったであろう「黒人差別ネタ」を連発していた。
あれはいただけなかった。
現在であれば大炎上だろう。
もっとも、「黒人差別ネタ」を連発されながらヘラヘラ笑い、大枚を稼いでいたオスマン・サンコンも、同じ人種の人たちからすれば不快な存在だったのではないかと想像する。
しかし当時はまったくと言っていいほど、そのような問題点は取り沙汰されなかった。
だから「当時の方がいい」ということはまったくないのである。
あるいは、浜田雅功が顔面を黒く塗って笑いを取ろうとした点が問題になった時、「昔はシャネルズも顔を黒く塗ってたじゃないか」などという書き込みも少なからず見られたが、わたしはシャネルズが活躍していた当時何かの雑誌で読んだのだけれど、音楽イベントか何かで来日していた黒人ミュージシャンの談話として、「(シャネルズが顔を黒く塗っているのを見て)最初は黒人を馬鹿にしているのだと思ったけれど、話を聴いてリスペクトがあることが分かった」という意味の発言が取り上げられていた。
これはつまり、シャネルズも「見た目だけ」なら「アウト」だったことを意味している。
実はわたしもシャネルズの黒塗りを何の気なしに見ていたので、この記事を読んで、人種問題のデリケートさに驚いたものだからよく覚えているのだ。
件の発言をした黒人ミュージシャンが結果的にシャネルズに理解を示したのも、日本でのことだから、「大目に見た」のではないかと想像する。
要するに、「シャネルズの黒塗りはOK」だったわけではないのだ。

実は今回は「差別問題」について書き始めたのではなかったが、この流れになったのでついでに書いておこう。
「身体的特徴に対するいじり」である。
わたしは『吉本新喜劇』が嫌いではないが、あまりにエグく身体的特徴を笑いものにするギャグが続くととても笑えなくなる。
例えば少し前に登場人物の一人の頭頂部の「禿げ」を笑いものにするシーンがあったが、それがいかにもくどくエグく、わざわざその男性の頭を持って禿頭部を観客の側へ晒しながら「笑いを取る」という方法で、最早わたしはすっかり白けていた。

ただ、「ギャグ」に関しては多くをタブー化すると表現の自由が保たれなくなり、単純には語れない。
続けて思考を深めていこう。

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いっぷく

シャネルズは蒲田の不良たちの集まりで、私はサイドギターの須川と同じクラスでしたから、彼らには頑張って欲しいと思いましたが、トラブルもありましたね。黒塗りはドゥーワップというビジネスモデルに「あやかり」のつもりだったのでしょう。でもたしかに靴墨で顔をさらっと塗るあれが、けしからんといわれたら仕方ないでしょうね。
黒人プロレスラー同士が、試合をできないほど仲が良くないというところにもデリケートさがあらわれています。ボボ・ブラジルとアーニー・ラッドは×。ボボ・ブラジルとブッチャーも×。ただし、アーニーラッドとブッチャーは◯、という複雑さは、さらにルーツの違いもデリケートに絡んでいるようですね。
ブラックパワーシリーズはボボ・ブラジルのためのシリーズで、馬場は気を使ってブッチャーは呼ばなかったのですが、ブラジルの最後の来日のときだけ、2人を揃って呼びました。「ブラックパワーシーズ」主役継承という意味だと思いますが、それを察したのか、それが我慢ならなかったのか、ブラジルは仲のいい小鹿に「このツアーが最後の仕事だ」といったらしいですから。
そういえば、以前「たかじんのバー」にサンコンが出たとき、出演者がハグして軽くチュッとしていたのですが、名前は失念しましたが若いアイドルがサンコンに触れられるのをものすごく嫌がって、サンコンは笑ってましたが、目から涙が出てましたね。そんなもん出演しなきゃいいといえばそれまでですが、人間扱いされていないように見えてちょっとかわいそうでした。国費留学で、国のPRをする広告塔が仕事だったので、差別のシーンは笑ってスルーすると決めているのかもしれません。

実は私は2011年にダウンタウンの本を編集して、かんたんに2人の幼少期を確認しているのですが、浜田はずっとハマチョンと呼ばれていたんですね。浜田が朝鮮人かどうかは断言できません。が、そうであってもなくても、在日の経験を一部かもしれませんがしていると思われるので、差別問題について鈍感であることは意外に思いました。もっともあれは浜田ではなく構成作家のアイデアなんでしょうが、文学座の北村和夫が右翼タカ派の役を演じられないと降りたようなわけにはいかなかったんですね。

大阪は吉本新喜劇だけでなく、どつき漫才とか、えげつなくて刹那的ですね、笑いが。そうしてみると、私は昭和のいる・こいるは、改めてすばらしいと思いますね。
どつきもないし、話の内容に嫌味もなく、ひたすら自分たちのパターンを繰り返すだけ。ビートたけしがツービートの頃、賞を争ったのに負けてしまい嫉妬したというのはよくわかります。
by いっぷく (2018-02-10 02:53) 

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