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●主要新聞でも大報道「嵐の活動休止発表」と現代日本の「ほぼタブー」的空気~『眠狂四郎 勝負』の快感は、闇、音響、そして雷蔵の台詞。 [「言葉」による革命]

●主要新聞でも大報道「嵐の活動休止発表」と現代日本の「ほぼタブー」的空気~『眠狂四郎 勝負』の快感は、闇、音響、そして雷蔵の台詞。

末尾ルコ「社会観察と映画の話題で、知性と感性を磨くレッスン」

嵐の「休止発表」についてもう少し続けると、今回の発表は主要新聞も大報道したということで、(やれやれ)なのだが、それ以上に問題なのは、「お追従記事」が溢れ返ってしまう日本の現状ではないか。
「嵐のような仲間がいるなんて、何てすばらしいんだ!」とか、「多くの国民に勇気を与えた」とか、小学生の作文ではないのだから、「嵐という人気スターグループが、実質的にどのような実績を残してきたか」を冷静に論評する記事もあってしかるべきだが、どうなのだろうか。
もちろんわたしに、巷に溢れ返る「嵐に関する記事」のすべてをチェックする時間などあろうはずもないから、きっと客観的な論評や批判記事もあったのだろう。
けれどテレビは言うまでもなく、主要新聞であっても、「嵐に対するまともな論評ができない空気」が明らかに日本社会には漂っている。


気を取り直して再び『眠狂四郎 勝負』のお話。
この映画、次の人たちもしっかりと記しておきたくなる。

撮影 牧浦地志
音楽 斎藤一郎
美術 内藤昭
録音 奥村雅弘
照明 山下礼二郎

まず、闇が多い、そして濃い。
ほとんどのシーンに深く濃く美しい闇が存在する。
映画、特に時代劇にはこれがないと、わたしには味付けしてない料理くらいつまらなく感じる。

深く濃く美しい闇が存在するからこそ、部屋の中の灯明や蕎麦屋の灯り、そして蕎麦の湯気が際立って見えるし、温かさが伝わってくる。
昨今の映画やドラマにこの大切な快楽は希薄で、まして4Kや8Kではますます遠ざかる。
闇に生息する魑魅魍魎や、それだけでなく蠢く無限の人間感情を描ける表現者は今どれだけいるのだろうか。

時代劇にJポップとか、願い下げにしてほしいところだが、けっこう前からしょっちゅうである。
ま、「絶対ダメ」ではないけどね。
上手に使われる場合もあるかもしれない。
が、やはりそんな例はほとんど頭に浮かばない。
『眠狂四郎 勝負』、だけではなく、昭和の多くの凄い時代劇には大仰な時に大時代的な音響があった。
狂四郎が円月殺法を繰り出す時間に腑抜けた音響などいらないのである。

さて、雷蔵の『眠狂四郎』は数々の名言がファンを酔わせているが、『勝負』のラスト、友情を交わせた加藤嘉演ずる勘定奉行が狂四郎に、

(台詞は映画中そのままではありません)

「その凄い腕を世のために使わないか」

ともちかける。
つまり、「公的に幕府を助けてくれ」というわけだ。
しかし狂四郎はこう言う。

「考え方が違うな。そんなことを聴くと、あんたのことが嫌いになる」と、

笑って去っていく。

いいねえ!

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いっぷく

>「お追従記事」が溢れ返ってしまう日本の現状ではないか。

いまだにカレンダーがものを言っているんですね。出版社、新聞社で気に食わないメディアには、ジャニーズのカレンダーは作らせないというあれデスね。出版不況で、手堅いジャニーズカレンダーを失いたくないということと、新聞社も、関連広告を失いたくないということなんですね。
民放がその影響でジャニーズタブーに身動き取れなくなることはあり得るとして、NHKがどうしてと思いますね。

今の映像は、HDリマスターで当時のフィルムもきれいに明るく傷もなくしてしまうので、鮮明に見えすぎて、当時は闇だったのが実はそこに人がいた、なんてところまで見えているようですね。
その結果、作品の印象や演出の評価も変わってしまう映画が出てくるかもしれません。
雷蔵も、以前は池上本門寺に納骨されていました。ひょうきんプロデューサーの横澤彪の墓の近くでした。しかし、もともと養子で血筋はまた別ということもあるのか、改葬されてしまいました。

日清焼そばにしても、サッポロ一番にしても、ロングセラーですよね。この数十年で、数え切れないほどの新商品が出て、そのほとんどが生産終了になっているわけですから。
私は、日清と明星は、車でいうとトヨタと日産のようなものだと思っていたので、明星が日清の傘下に入ったときは「そんなことがあるのか」と衝撃を受けました。金融機関なら、明星とマルちゃんが合併して日清に対抗するということになるのですが、食べ物製造業は企業の論理が少し違うみたいですね。

>荒井注のキャラクター造形が成功していたことになりますね。

たしかにおっしゃる通りです。荒井注は「お坊ちゃん」の雰囲気は見せなかったですね。でも下品な笑いをあまり好きではなかったようですし、ご飯の食べ方など、ちょっとしたところで、「常識人」なところが見えました。
その一方で、「そのもの」だったのがいかりや長介で、当時のドリフの映画のストーリーは、いかりやが4人から搾取する設定が多かったのですが、それは実はリアルでもそうだったらしいですね。
6:1:1:1:1の取り分だったのに、さらにいかりやがくすねていたらしく(笑)『8時だョ!全員集合』が終わってから、楽器ができない志村けんをのぞいてまたバンドをやろうということになったものの、ベースのいかりやは外して、「こぶ茶バンド」として3人で再結成したのはそれが原因らしいですね。

by いっぷく (2019-02-09 05:30) 

hana2019

大報道「嵐の活動休止発表」については、まさに騒ぎすぎ。ただのアイドルにすぎない彼らなのに。
映画「硫黄島からの手紙」での二宮の出演シーンは少ない、見終えて残ったのは、やはり渡辺謙の堂々とした主演、圧倒的な存在感。そしてアメリカ人には受けないと思える企画を映画化してみせたC・イーストウッドの演出力でした。
つまらない事ながら、「硫黄島」の呼称はずっと「いおうとう」として、映画の合間に流れるニュース映像でもそのように呼ばれていたものが、映画「硫黄島(いおうじま)からの手」後、いおうとうから、いおうじまへと変わってしまった事でした。
戦後アメリカに統治され、昭和40年代にアメリカから返還された歴史を持つ硫黄島ながら、ハリウッド映画の公開が直接のきっかけではないにせよ、現地での呼称が優先されるのは当然であり、私の中では今もいおうとうとなっております。
同じパターンで、フェルメールの描いた「青いターバンの女」、美術の教科書でもその名で載っていました。
映画「真珠の首飾りの少女」公開がきっかけか?「真珠の耳飾りの少女」へと呼称が変わってしまったのは面白くないのです笑)

>闇が多い、そして濃い
これは映画製作に限らず、時代劇が減って、安易な学園もの、チープな恋愛映画ばかりになってしまっている要因のひとつかと感じます。
余程の山奥まで足を運ばないと、我が県内でさえ星空が望めないのが現状です。
かつて人間の恐れの対象でもあった、闇の世界が限られてしまっているのだから、制作費もふくれ上がるばかりでしょう。
時代物の殺陣は当然。台詞、所作が数少ない俳優だけのものとなってしまった、共通のものに思えてなりません。
それにしても「眠狂四郎」、柴田錬三郎は良い仕事を残しました。
中里介山作「大菩薩峠」でも、雷蔵は主演の机竜之助を演じていますね。

by hana2019 (2019-02-09 13:10) 

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